新甲子温泉 甲子高原フジヤホテル(しんかしおんせん かしこうげん ふじやほてる)(福島県)

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  • 【いつ悔い改めるか】
    健康状態の良し悪しは生産性に直結すると思います。体調が良ければ集中力が高まり頭も回り意欲的で、悩みもなく幸福度も高いので自ずと生産性が上がります。トップの元気さが組織の元気度の上限を決めるので、職位が高い人ほど健康に留意すべきです。それでも多くの人が健康的な生活をしないのは、それが不自由だからです。食べすぎや飲みすぎはいけない、運動をしなくてはいけない、夜ふかしをしてはいけない、といったネガティブリストを見るだけで健康嫌いになります。健康的な生活をするには、未来に希望を持ち健康になりたい理由と意思を持つことだと思います。今年86歳で南米最高峰のアコンカグア登頂に挑んだ三浦雄一郎氏の話を、それは例外で自分とは関係ない話だと思うか、肉体の可能性を信じることができるかの違いです。もう一つはどれだけ早い時点で自らの誤りを悔い改めるかだと思います。自身49歳で肝炎になり10日ほど入院したことをきっかけに体重を減らし運動を始めました。糖尿病の合併症や癌が進行してから悔い改めても、多くの場合手遅れになります。

  • 【南アルプスは業界関係者の練習場?】
    今朝は南アルプスの鳳凰三山(観音岳2,841m)に日帰り登山しました。御座石鉱泉に車を停め青木鉱泉から稜線まではスピードハイクなら3時間ほどですからトレイルランナーも多く見かけます。先週の南アルプス縦走と違い荷物が格段に軽いので身軽さの有り難みを体感します。白砂の美しい稜線は日本離れした景色で南アルプスの主峰北岳が目前に見えます。ドンドコ沢を登っていくと高度を上げても水量の多い滝に驚かされ、鳳凰三山のもう一つの魅力は滝です。昨年平ヶ岳登山で熱中症になったラブラドールの息遣いを気にしながら、標高1,150mの青木鉱泉から観音岳まで標高差1,700mの急峻な山を登って行きます。稜線ではTJARのスタープレイヤーの朽見さんに会うなど、南アルプスは業界関係者の練習場と化した感があります。ハイカーとトレイルランナーの大きな違いは、前者が山頂を目指すのに対して後者はそのプロセスに重きを置く点です。トレイルランナーにとって地図上のコースタイムは、頂上へ着くまでの時間ではなく、あと何時間トレイニングができるかの目安です。

  • 【EBMは新手の作り話】
    医学の進歩を信奉する人は最新が最良と考え、最新医学のデータや高度化されたEBMを有難がります。しかし、巷で喧伝される主張の根拠は相関関係であって因果関係ではなく推測の域を出ません。その証拠に全ての主張は他の主張と矛盾していてどれを信じて良いのか分かりません。唯一信用できるのは誰もが知る口述伝承された知識ぐらいで、早起早寝、腹八分目、適度な運動を実践すれば健康になれると思います。重要なことは生体恒常性のデフォルトに忠実に生きることです。規則正しい食事や朝食を重視する主張は一見正しいように見えますがその信憑性は疑われます。人体はその歴史の大半を占める狩猟採集生活に適応していて、毎朝同じ時間に食事がある生活を始めたのはごく最近のことです。何km走っても獲物にありつけない日が多かったはずですから、決まった昼休みに短時間でかき込む昼食も人体にとって不自然です。必要がなければ狩りにも行きませんから、空腹時間が長かったはずで、冷蔵庫を開ければ食事がある生活が体に良いはずがありません。EBMという新手の作り話は肝心な点を見落としているように見えます。

  • 【今こそ生きる戦争の記憶】
    戦中世代が減る今の社会にとって戦争はテレビで見るニュースに過ぎません。自分が生まれる20年前は太平戦争の真っ只中でしたが、幼少時に傷痍軍人を街で見かけた記憶がある程度で、痕跡を消された戦争はミステリアスな存在です。戦争の痕跡を見たくて10年ほど前にパラオ本島から60km離れたペリリュー島に行きました。関東軍の精鋭と米海兵隊の精鋭第一海兵師団が激突した狂気の戦場には、急峻な岩山に作られた500以上のトンネル陣地があり、旧日本軍の弾薬やビール瓶が散乱していました。日本側が水際撃滅バンザイ突撃という短期決戦から長期持久戦に切り替えたことで米国史上最悪の死傷率を海兵隊に強いました。長くて4日と言われた小さな島を、食料も水も乏しいなか74日も守り抜いた精神力は驚異的です。戦争中は正当な評価を受けることのない奇跡的な偉業がたくさんあったと思います。逃げ場のない絶海の孤島に立ったとき、戦争の不気味さを少しだけ感じました。われわれの日々の悩みなど、生きたいと願いながらその選択肢のなかった若者の犠牲と比べようもなく、生きることが許される時代にこそ戦争の記憶は生きると思います。

  • 【仕事を主体化する時代】
    やや旧聞に属しますが、ヘルスメーター大手のタニタが2021年から雇用契約ではなく業務委託を視野に新卒採用を始めるというニュースは働き方改革の核心だと思います。半数の会社がパラレルワークに前向きな時代の必然の成り行きですが、その影響は小さくありません。社歴の長い年長者に多く給料を払う年功序列賃金体系は納得を得やすい反面、そこに合理性はありません。右肩上がりの時代の組織は人に給料を払う共同体を指向しましたが、生き残りをかける時代になると組織は機能体として業務にお金を払うのでしょう。雇われるレイバーから、委託を受けるワークに変わることで、仕事は無用なしがらみから解放され初めて生きる喜びになり得ます。個人の信用格付けを一つの会社が査定する時代から社会が行う時代になると、組織人から社会人への意識改革が必要になります。企業の看板とネットワークに依存する仕事には甘えが生じ、会社が多くを提供するほどその構成員は働く主体性を失います。最も人生を豊かにするはずの仕事を主体化する時代が始まるのだと思います。

  • 【フローに至る死の危険】
    終戦日に向けて戦争ドキュメンタリーが放送される8月は、一年で最も死について考える月だと思います。二度の原爆投下による市民の殺戮とソ連の参戦、そして最悪の航空機事故で多くの人がむごい形で人生を終わらされたのも34年前の昨日です。当たり前のように朝が来て、大半の人が平和な死を迎える現代に、毎年3万人が自らの生命を絶たなくてはならない皮肉を考えます。生きる時間を制限する死は同時に人生に意味を与え、真剣に生を考え丁寧に生きるきっかけになると思います。先日、山での事故で身近な人の訃報に接しました。山は常に死と隣り合わせという点で他のレジャーと異質です。一見平和に見えるのどかな稜線も、一瞬の判断ミスや不注意で滑落をすれば助からないところばかりです。先日行った南アルプスの荒川三山手前のカール大斜面は岩が大崩壊地側に崩れたことで、標高差600mのナイフリッジとなり、どちら側に落ちても助からない危険地帯でした。エクストリームスポーツのアスリートがフローに入りやすいのは、死の危険が集中力を高めるからに他ならないと思います。

  • 【食べない喜び】
    昨年盛り上がった人生100年時代というキーワードは鳴りを潜めた印象があります。人の寿命は先進国を中心に伸び続け、2007年生まれの日本人の半分は107歳まで生きると予測されますが楽観的に聞こえます。医療技術が進歩しても人生100年時代は来ないと思います。長寿の頂点にいる今の日本人は、大正・昭和の「欲しがりません勝つまでは」の窮乏時代を生きた世代で、少ないカロリー摂取と食物繊維や乳酸菌、ビタミン、ミネラルを摂る当時の食事が長寿に適することは世界的な合意が得られています。一方の現役世代は、大量生産される発がん物質まみれの食事、栄養価の低い野菜、子供の頃からエナジードリンクを飲みグルコーススパイクを繰り返す食習慣など、戦後いち早い食の米国化で子供が先に死ぬようになった沖縄の悲劇を繰り返しています。美しい花を咲かせるには大量のエネルギーを使うように、美食やアルコール摂取は体を消耗させる一種の自傷行為ですが、飲食による快楽を礼賛する社会において食べないパラダイムは受け入れ難いものです。誘惑の多い飽食時代の今はむしろ食べないことが善であり、食べないことによる内面の静けさに喜びを見出すことで食べる感覚が研ぎ澄まされると思います。

  • 【執着という名の荷物】
    山から戻り数日しか経たないのに、すでに夏山への憧れは募るばかりです。わずか5日ながら、コンビニもなく携帯の電波も届かない、布団も風呂もない山籠り生活はなぜかとても贅沢な消費に思えます。俗世間と距離を取り暮らす隠遁生活がいつの時代も魅力的に映るのは、極限まで肥大化した欲望が跋扈する社会に暮らす反動かもしれません。そのストイックさを心地良く感じるのは、世俗にまみれた生活の雑音が、自分が何者かを確認する術さえかき消すからで、本来の自分に近づくには最小限の荷物を背負い自然に身を晒す旅が最良だと思います。食料やテントを持つと、その重みで体は自由を奪われ運動能力が低下します。荷物の減った下山前日には体力が温存され行動距離が伸び、茶臼小屋に荷物を置き予定になかった光岳までのコースタイム12時間を空荷でピストンしました。ほとんど荷物を持たないトレイルランニングならハイカーの倍程度の距離を移動でき、その魅力は身軽さにより自由を謳歌する開放感です。執着という名の荷物を減らすと遠くに行けるのは人生も同じだと思います。

  • 【悟りを求める冒険旅行】
    登山者の少ない南アルプスではハイカー同士の接点が濃厚になり、そこに生き様を感じます。20kg超の荷物を背負う伝統的な縦走スタイルが今も主流な一方で、2、3kgの最小限の装備で肉体の限界に挑むタイムトライアルも見かけます。三伏峠下の鳥倉ゲートから赤石岳までのコースタイム片道19時間10分を往復する人に会いました。40時間近いコースタイムを日帰りするなど3,000メートルを超える登山の常識では考えられませんが、これらの人は例外なく世界最長415kmのトレイルレースTJARに向けたトレーニングです。日本海から太平洋に至る3つの日本アルプスを含む累積標高27,000mを、サラリーマンが取得可能な1週間(8日以内)の休暇で縦走するレースは、自分の限界を引き出す修行の場に他なりません。注目を集めるレースとなれば簡単に投げ出すことができなくなります。欲望を断って心身を鍛練し浄化する点において、日本古来の山岳信仰を基礎とする修験道と同じです。我欲にまかせた快楽や安楽な生活に耽る人が多いなか、真理や悟りを求める刺激的な冒険旅行こそが人間本来の姿を思い出させてくれると思います。

  • 【贅沢の本質】
    南アルプスの魅力は雄大で、造山運動が今も続いていることを思わせる荒々しい岩壁、豊富な水と稜線を覆う花畑です。とりわけ魅力的なのが、アクセスが悪く長大な稜線に山小屋が少ないために人を寄せ付けない静かな山域という点です。昼間はひたすら距離を稼ぐために筋肉を動かし、夜は都市が失った暗闇と静けさに癒やされる動と静の両面こそが山旅の魅力だと思います。にぎやかだった鳥の声が日没とともにやがて遠ざかり、時折上空を通過するジェット機の音以外は無音の暗闇が広がります。夜中に見上げた満天の星空は非現実的な光景で、テントをたたく雨音さえ贅沢に感じられ、不都合や不快を取り除くことで進化した都市生活が失った本来の居場所を教えてくれます。写真は茶臼岳直下に張ったテントから見た、刻々と表情を変える朝焼けの富士です。下界の蒸し暑さと無縁の寒さに寝袋を重ねたテントからこの景色を見ていると、執着の延長にある贅沢が本質でないことが分かります。

  • 【生きるパワースポット】
    年齢を重ねると感動の薄れがちな人生において、人生を変える旅に出る幸運など滅多に訪れません。風光明媚な景色や素敵な宿、美味しい食べ物など虚しく一瞬で消費され、自らを高揚させたり動機づける役には立ちません。人との出会い以外に人生を変える方法は存在せず、直接その人の生き様に接して共振する体験だと思います。南アルプスで会った世界屈指のアルペンクライマーの平出和也氏とは昨年8月にも同じ山域でお会いしていますが、野生動物のような人間本来の美しい肉体は生命力のオーラを発散し、何も聞かなくても世界の山を踏破して鍛え抜かれた体が全てを語ります。聖平小屋で偶然同宿し、翌日茶臼岳から光岳へ至るルートを同じ時間帯に向かう幸運が重なりました。プロアドベンチャーレーサーの田中陽希氏を後方から撮影し、さらに登り坂で素早く追い越して前方からのアングルで撮影する際の肉体の躍動を間近で見たとき鳥肌が立ちました。氏にとっての山は仕事の場であり、鍛錬の場であり、人生そのものなのだと思います。人生を変えたいと思わせる、まさに生きるパワースポットです。

  • 【人生に向き合う旅】
    昨夜南アルプス縦走から戻りました。3,000メートル峰4座を自分の足で移動する山旅ほど自分をモチベートする旅は無いと思います。4泊分の食料とテントを背負い肉体を酷使する人力歩行の旅は、南アルプスの雄大な景色や夜中に見上げる満天の星空の美しさを差し引いても優雅な旅とは無縁です。しかし長大な稜線をステージレースのように移動していると幕営地が重なり、単に共通の趣味というより人生観や信ずるものさえ近い人との交流が生じます。極め付けはプロアドベンチャーレーサーの田中陽希氏や世界屈指のアルペンクライマーであり山岳カメラマンの平出和也氏との出会いです。テレビ放映では語られないアドベンチャーレースの裏側にある人間の本性のぶつかり合いを直接聞くと、挑戦のない人生の味気なさを思います。都会での当たり前の全てが贅沢になり、デジタルデトックスにもなる静かな山旅をおいて、自分の人生に向き合う旅はないと思います。

  • 【幸せという雑念】
    幸せな人というのは人知れず暮らしていて、そもそも自分が幸せかどうかなんて考えたことさえないと思います。幸せを意識した瞬間に執着が生まれ不幸が始まります。理想的な暮らしを流し続けるテレビ番組も、幸せ自慢の写真であふれるSNSもその引き金です。非地位財が大切だと知っていても幸せな人のロールモデルを反射的に探してしまい、その途端に欠乏感が広がります。人体は正確な生体恒常性により絶妙なバランスを保っていて、これが崩れると病気になります。間違った生活習慣が不健康を生むように、間違った思考回路が不幸を呼ぶと思います。豊かな暮らし、恵まれた生活は常に比較可能な尺度を提示し、われわれは心穏やかでいられなくなります。求めるほど遠ざかる幸せは、触れないでおくべきタブーなのかもしれません。自分の周りでエクストリーム系スポーツに傾斜する人が多いのは、販促手段に過ぎない「幸せ」という雑念を振り払い、掛け値なしに充足したいからなのだと思います。

  • 【極限で知る直感】
    健康になるのが難しい理由は、人体が矛盾の間にバランスを取ることで成立しているからです。生きるのに不可欠な酸素は活性酸素を生み有用であり有害です。食べ過ぎると生活習慣病になりますし、ビタミンDなどの体内合成に必要な太陽光は皮膚がんの原因になります。健康の収支計算で絶妙なバランスを保つことが必要になり、最終的には野生動物としての人間が持つ直感がその判断に役立つと思います。しかし、本能的な欲求と生物としての直感を見分けることは厄介です。人は欠乏感を埋めたい本能的な欲求から快楽を求め、一方で不快を避ける安楽な生活を求めます。前者は中毒になり後者は生きる力を失います。欲求と生理機能の間に生じるずれをなくす手がかりは極限状態の運動にあると思います。エクストリーム・スポーツが魅力的なのは、いわゆるフロー状態でつきものが落ちるような爽快感をもたらすからです。こうした経験から人は、自分本来の身体能力を知ると思います。

  • 【自作自演の夏バテ】
    夏バテ対策ならスタミナメニュー、年をとったら肉食が良いという主張は間違った思い込みだと思います。国際がん研究組織IARCは加工肉の発がん性を喫煙やアスベストと同等レベルのGroup1と判定し、牛・豚・羊などの肉については発症メカニズムを裏付ける相応の証拠に基づく発がん性があるGroup2Aと判定しています。肉を食べた時の便の変化を見ると発酵と腐敗の違いは明らかで、体に良かれと思い肉を摂取する誤解は危険です。体に負担をかける肉を消化できるのは元気だからであって、肉を食べるから元気なのではありません。健康常識には、このような因果が逆転しているケースが少なくありませんが、知ってか知らずか間違った常識は放置されます。夏バテ対策メニューが消化、吸収、代謝を悪化させ、夏が終わる頃には自作自演の夏バテがやってきます。

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