新甲子温泉 甲子高原フジヤホテル(しんかしおんせん かしこうげん ふじやほてる)(福島県)

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  • 【健康な身体と感謝の気持ち】
    人が浪費の罠に寛容なことは、産業にとって最大の福音だと思います。美食に明け暮れる一方でダイエットをすれば両方の産業を潤し、医療と介護産業は大きな生涯価値を手にします。これらの需要はGDPにカウントされても幸せには貢献しません。美味しい料理の多くは健康に悪く、お年寄りに楽をさせると当人の筋力を奪い、何かを得ると失う恐怖を覚え、何かを達成すれば次の比較対象を探し、十分なリラックスのあとには自律神経のバランスが崩れます。産業化された幸せと不幸はいわば双子の兄弟です。本当の幸せは産業化の手の及ばないところにあるはずです。毎日を機嫌良く過ごすのに必要なものは、健康な身体と感謝の気持ち、あとは美しい自然があれば十分だと思います。

  • 【人気職業でなくなった政治家】
    かつて経済統計の水増しが注目された中国ですが、昨今の日本も政府統計を操作しなくてはならない状況に陥っているようです。次の選挙にしか興味のない政治家はやるべき仕事より票につながる成果を優先します。政治に関心を持つべきという声もありますが、政治に興味があるのは利権に群がる人たちです。政治に変化を求めても本質が変わらないことに気づくべきでしょう。旧態依然とした政治屋の巣食う世界に最悪の財政赤字や増大する社会保障費などの根本的解決を期待するのは難しそうです。素晴らしい政治家も少なからずいたと思いますが、今となっては奇跡を期待するようなものです。政治を変えるのではなく、もっとも遅れ業界であり機能不全に陥ったシステムと距離を取る方が建設的です。かつて政治家は人気の職業でしたが、若者と話しても政治家になりたいという無邪気な話は聞かなくなりました。

  • 【ご都合主義の世界】
    米朝首脳会談を見ていると人としての正しい道とは何かを考えさせられます。利権があれば戦争を起こし、なければノーベル賞を狙うというご都合主義のアメリカと、非人道的な圧政国家の握手が世界のニュースになることに、「歴史は勝者によるフィクション」という言葉を思い出します。アメリカが起こした戦争で根拠の明確なものは少なく、テロとの戦いにしても疑問が呈されています。中国各地で1,000万人以上が殺戮された文化大革命も、偉大な国家指導者の仮面が剥がれたスターリンも「一人殺せば殺人者、100万人殺せば英雄」を地で行き、こうした狂気の国家は世界に少なくありません。近代起こった飢餓は自然災害ではなく政治的失敗、つまり人間のエゴによるものです。勝てば官軍的ご都合主義は世界のあらゆる場所に蔓延し、「大き過ぎて潰せない」は企業社会のルールになっています。

  • 【幸せと表裏の不幸】
    今朝は阿蘇に来ました。転地療法は普段住む場所から200km以遠、標高500m以上の空気のきれいな場所が適地とされます。羽田から3時間で着き、地球の鼓動を感じさせる阿蘇のダイナミックな山並みに刺激を受けます。刺激には自分のなかで反応を起こす内発的なものと、反射的に反応する外発的な刺激があると思います。売上至上主義の常套手段は扇動しやすい人間の古い脳を刺激します。安易な娯楽は頭を使わず、安楽な生活は体を使わず、人は快楽を求め不快な運動をせず、漫然と食べ無為な時間を過ごし緩やかに死に向かいます。われわれが幸せだと思っていることの裏には不幸の芽があり、その不都合が企業により語られることはありません。

  • 【山を走れば体調が戻る】
    昨日は丹沢に登りました。氷点下2.5度の青根緑の休暇村からつづら折りの登山道を一定リズムで息を吐き切りながら登っていくと新鮮な空気とともに全身に血流がまわる感覚です。日の出前の森の冷たい空気と鳥の鳴き声を聞きながら登る喜びに勝るものはないと思います。昨年は極上のスノートレイルを楽しめましたが、今年は雪が消えています。帰路の緩やかな下りのトレイルは走って降りるには最適ですが、冬の間に失われた筋肉は脚をコントロールできずスピードが上がりません。運動不足により足首の関節可動域も狭くなったようでつまづけば捻挫をしそうです。現代人の身体は、せいぜい1万年程度の農耕社会以前の、野山を走っていた狩猟採集の時代に適合しており、山を走ることでベストの体調が戻ると思います。全身の血流が改善することで腰にあったしびれるような違和感は緩和し、疲れた身体は深い睡眠と代謝をもたらします。

  • 【流れ星に願いを】
    先日娘の高校に行ったとき、「とりあえず」と発言した生徒に、すかさず先生が「とりあえずと言うな」と正したことがとても印象に残りました。自分も何となく会社に行っていた頃は、「一応」とか「とりあえず」という言葉を使いがちでした。企業は労働力確保のために従業員を会社依存させる必要があり、飼いならされるうちにサラリーマンは主体性を奪われ、とりあえず生きるようになります。書籍や自己啓発セミナーに救いを求める段階で、すでに本質から外れていると思います。先日の講演で、流れ星が流れる瞬間とっさに3回唱えられる願い事があるか、という話を聞いたとき、そんな明確な夢を持った社会人がどれほどいるのか考えさせられました。自身お金を稼ぐことより何かを成し遂げるほうが大切だと思えるようになったのは比較的最近です。

  • 【気づかないのは自分だけ】
    かつてソ連の政治家が西側諸国を旅行したとき、どの店にもパンが並んでいるのを見て、パンの配給責任者に会いたいと申し出たという笑い話があります。資本主義という宗教を世界に広めたのは競争原理という見えざる手です。市場との競争、競合との競争、そして社内での競争が企業を生きにくい場所にしていると思います。常に競争や他人との比較にさらされる序列化された現代の職場は、素で生きることを許しません。そして、収入を組織に依存すれば人は卑屈になります。世間では70年から80年周期で世界が大きく変動するという周期説が信じられています。たまったひずみのエネルギーがほぼ70年周期で解放される地震と同じメカニズムです。明治維新、終戦と来て日本はそのひずみを戻す時代の変化に直面しています。その変化に気づいていないのは、時代を目撃している他ならぬ自分たちだけだと思います。

  • 【勤勉な日本人がはまる努力の罠】
    昨日は日本フェンシング協会会長の太田雄貴氏の話を聞きました。小学校3年でフェンシングを始め4,300日の間一日も練習を休まず、継続は力だと言います。他方で毎日練習をするのは試合に勝つ手段のはずなのに、ルーチンで練習をすれば手段が目的にすり替わるという話は、毎日惰性で会社に通っていたサラリーマン時代を思い出します。努力することは才能の一つでしょうが、明確な夢や目標、残された時間の意識なく働くことは人生の浪費です。努力でカバーできないことにはくよくよしないという話も印象に残りました。フェンシング競技では不利なアジア人の体型は変えられなくても、肩の関節可動域を広げリーチを伸ばすことは努力でできるという話です。一番感銘を受けたのは、来年のオリンピックのフェンシング競技20万席の完売が視野に入ったというマーケティング能力で、観客が見たくなる演出にテクノロジーを使う手腕です。かつてのフェンシング競技は、写真の全日本決勝戦のように観客が誰もいなかったそうです。

  • 【たちの悪い勤め人】
    昨日は確定申告に行きました。少し面倒な処理が必要で、青色申告会、税務署、申告会場に行くはめになり、これに対応する職員の人件費まで考えると税徴収に伴うコストは身の毛もよだつほどです。税務署は融通のきく役所で、古い企業の管理部門にありがちなロボット人間みたいなことは言いません。こうした融通の加減も学習したAIにこれらの業務は遠からず代替されるはずです。融通のきかないロボット人間と融通のきくAIの対比は悪い冗談のようですが、すでに現実だと思います。前のブースで申告していたリタイアしたと思しき男性は最初文句ばかり言い怒っていたのですが、気を利かせた職員が年金の支払い元を確認したのか「すばらしい会社にお勤めだったのですね」と言った瞬間に態度を豹変させ上機嫌でした。会社の看板にすがるしか生きる術のない人もロボット人間同様にたちが悪いと思います。

  • 【死の商品化】
    役に立たない本に時々出会います。後味が悪いのはそれが世間で名著の誉高い本の場合です。昨日読んだ、「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義、は国内で10万部を売るベストセラーなのですが、後味の悪い一冊でした。近年「死」について正面から取り上げる本が増え、いろいろな主張があってよいと思いますが、理にかなっているかどうかを論ずるテーマとは思いません。さまざまな説や考え方を検討し、妥当な結論に至るアプローチは、その陳腐なたとえ話もあって生理的に受け入れられません。合理性に焦点をあてる論法は、命を軽々しく扱っているようで嫌悪感すら覚えます。「死」について理解したいのではなく納得したいのです。売りにくいとの理由から、原著の前半の考察を省いた「日本縮約版」の表紙に書かれた、「人は、必ず死ぬ。だからこそ、どう生きるべきか」という文字が虚しい宣伝文句に見えます。

  • 【綱渡り人生がもたらす急成長】
    話題の尽きないZOZOのような株価推移をたどる企業が後を絶たない印象です。負ののれん経営で有名になったRAIZAPの株価も似ています。お金大好き人間にとって会社は単なる儲けの箱ですから、十分にキャッシュを引き出してしまえばあとは怖いものなどなく、それが余裕のコメントにつながっていると思います。十把一絡げにしてはいけないのでしょうけど、こうした企業に共通するのは、ぎりぎりの綱渡り人生に耐性のあるリスキーな性格の人間が、たまたま時流にのって急成長することだと思います。ここまでの成長を実現できる経営者はマーケットを読む独特の嗅覚を持っていると思います。他方でリスキーな性格が災いして安定した経営をできないのですが、金余りの日本では少数の成長企業に投資家が群がります。人としての正しい道のために企業を成長させる経営者を輩出する社会の到来にはまだ時間がかかるのかもしれません。

  • 【教育こそが未来を変える】
    週末は娘の学校行事に行きましたが、勉強させられることばかりです。中高生の将来の夢を聞いていると希望を感じます。単なる思い付きや空理空論ではなく、将来に向けた計画があり地に足着いた活動を日々実践していることに明確な意志を感じます。上場企業を含めた大半の企業の経営計画より意義深く、道筋も確かです。自分が在籍した企業を含め経営計画を作るときは売上や利益ありきです。しかし肝心なWHY、なぜ利益が必要かというその先の議論は皆無です。とりあえず作った形ばかりの企業理念など経営層以下誰一人信じておらず、グランドデザインなき消耗戦に生きがいなど感じるはずもありません。英語教材が魅力的なTEDであることも小さくない理由だと思います。勉強嫌いを増やした犯人は全く興味の起きない教科書に他なりません。この世代が社会に出る頃には企業もそのあり方を大きく変えると思います。教育こそが未来を変えると感じる週末でした。

  • 【戦争に学ばない日本】
    海外に出ると戦争博物館に行きます。ロンドンで見た帝国戦争博物館も見ごたえのある博物館です。興味深いのは自軍の功績を誇示することなく、敵側の武器展示が充実していることです。ナチスドイツのV1、V2ロケットや初の西側近代兵器同士の戦いになったフォークランド紛争におけるアルゼンチン側の武器展示に多くのスペースが割かれています。複数の艦船を沈めイギリスにとっては悪夢でしかないアルゼンチン側のエグゾセ空対艦ミサイルが目を引きます。フォークランド紛争は領有権問題を抱える国々にとっては格好の研究対象であり、日本にとっても例外ではありません。どこの都市でも見かける戦争博物館ですが、日本には靖国神社境内の宝物館である遊就館などわずかな例外を除き戦争博物館とされる施設はありません。戦争とビジネスは類似する部分が多く、太平洋戦争などの豊富な事例を一般の人が知らないことは大きな損失だと思います。

  • 【好きなことの先にある人生】
    娘を見ていてうらやましいと思うのは自分の人生を好きなように描けると思っていることです。自分の時代も十分に豊かだったはずですが、「働かねばならない」という社会の制約が大きく、好きでもない仕事でも、乗りたくない満員電車でも疑うことさえ許されず働いてきた印象があります。好きなことをやりたいと言えば、「夢みたいな話」と否定され社会からはじき出されるのがおちです。もちろん今の世代でも生きていくために働かなくてはならないことは同じですが、やりたいことや好きなことの先に仕事があると思えるところに時代の変化を感じます。限界費用ゼロ社会の到来により起業のハードルが下がったこと、経済成長や消費社会への妄信の呪縛が解けたこと、核家族化が進み社会規範が緩んだことなど理由は少なくないと思います。長年人生に夢を見ることを許されず思考放棄を続けてきた世代にとって、リタイア後になって好きなことをして良いと言うのは酷な話です。

  • 【集団主義とエゴイズム】
    昨日は表参道を歩きました。歴史的建造物が都市の景観に埋没する美しいロンドンの街並みとの差は圧倒的です。よくも悪くも日本の建築表現は自由であり、都市景観への配慮はありません。ロンドンにもデザインを主張するビルがないわけではありませんが、伝統的な街並みとの対比にも一定の調和が感じられます。景観規制があるとされる京都の街並みでさえ汚く、そこには温かみがありません。許せないのが日本の住宅地で、日本中がスラムと化していると思います。ロンドンで見たいくつかの大学や刑務所でさえも温かみや美しさを感じます。普段は集団主義を重んじる日本が、こと不動産活用に関してはエゴイズムを認めるやり方には疑問があります。

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