新甲子温泉 甲子高原フジヤホテル(しんかしおんせん かしこうげん ふじやほてる)(福島県)

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  • 【目から鱗の胃の不調】
    外科中心に発達した現代の医学は対症療法に終始し、慢性疾患に対しては原因不明の不定愁訴などと曖昧な診断をします。人間の体は正常な状態に戻ろうとするホメオスタシス(恒常性)があり、本来は持病など存在せず全ての不調には原因があります。20年来胃の不調に悩まされ何度も受診し胃カメラの検査も受けましたが医師は誰も本当の原因を教えてくれませんでした。胃に未消化物の違和感がありよく断食をしましたが、そのときに限って一層調子が悪くなります。それもそのはずで普段より多く水分を摂るからです。喉の乾きに関係なく習慣的に水分補給をし、運動で汗をかいてもそれ以上の水分補給をしていたことになります。摂取する水分量を意識するだけで20年来の胃の不調が改善するなど目から鱗です。

  • 【オフィスではなく運動】
    週末の阿蘇ARTや彩の国などの100km、100mileトレイルレースに友人が出場しているのに刺激され、昨日は高尾山にリハビリに行きました。人体は運動をする状態がデフォルトで、運動をしないのは病的な状態ですから、そこから抜け出すにはリハビリが必要です。硬直した筋肉をほぐすように下りだけ走って南高尾から城山まで20kmほど体を動かしました。森に響く鳥の声を聞きながら早朝の森を歩くと様々なアイデアが降って来ます。ワーカーに必要なのはオフィスではなく運動だと思います。運動が脳を活性化し勉強や仕事に効果的なことに関する多数のエビデンスがあります。それでも運動を仕事に取り入れないのは即効性が感じられないからです。血糖値上昇をもたらすエナジードリンクが支持されるのもそのためです。運動強度を上げないとホルモン分泌など脳の活性化を体感することは難しく、学校教育などを通じての習慣化が必要だと思います。

  • 【胃のむくみと巨大市場】
    ここ20年来胃の調子が悪いのですが、数日前に読んだ本で水分の摂りすぎによる胃のむくみという概念を知りました。朝食の一杯に始まり、熱中症対策やお茶の効能など水分を摂ることばかり熱心に勧められ、水を摂るなという指摘は意外な盲点です。胃のむくみにより消化機能が低下し、同時に胃酸が薄まることで胃に食べ物が停滞すると言います。胃はますます胃酸分泌を活発にするために熱を発し、胃を冷やすためにさらに水を飲むスパイラルに入ります。対策は簡単で水分を減らして汗をかくことですが、わずか2日で症状は目に見えて改善しました。自分では胃薬は飲みませんが、簡単に治ることのために巨大な胃腸薬市場が形成されていることになります。

  • 【お茶屋遊びはラットレース】
    京都に来てイメージするのは一見さんお断りのお茶屋です。客の与信機能を担うが故のシステムなのでしょうが、こうした排他的な商品に人は憧れます。事業者は消費者が階段を上がっていくかのような幻想を意図して抱かせます。社用車であったり、料亭の利用といったフリンジ・ベネフィットは、かつては組織内のモラール維持に不可欠な舞台装置でした。海外に口座を持つとか、名医を知っているといった錯覚は長らく成功のステータスシンボルとされてきましたが、終わりなきラットレースへのエントリーに他ならないと思います。伝統を重んじる京都は、他方で日本を代表する企業を生み出すインキュベーターです。京都の伝統はおそらくイノベーションとセットで機能してきたと思われますが、商品化された伝統は権威性を帯び人を洗脳するのでしょう。

  • 【観光地嫌いに最適なゆるラン】
    法事で京都に来ました。京都に来る時は家の用事か仕事ですので、40年以上前の修学旅行以外に観光をした記憶はありません。観光資源を多く抱える京都の街に何となく食指が動かないのは人混みが嫌いだからです。登山を別にすれば観光目的の旅行をしたいとも思いません。金を払って人混みの観光地に行くなど願い下げです。早朝に近所の寺でも訪れたほうがよほど心が鎮まり、感情を突き動かしてくれます。それでも、どこからともなく漂う懐かしいお香の香りや、観光客のにわか着物に紛れた着物姿の年配の女性が緩やかなテンポの京言葉で話す街の風情は独特です。日の出前に走ったり歩いたりで10数キロゆるランをすると人の気配のしない京都を楽しむことができます。

  • 【目標を求める欲求】
    トレラン界の一大イベントUTMFの熱狂が冷めると本格的な山の季節を迎えます。例年今頃の季節になると冬の間に蓄えた贅肉を落とすための肉体改造の必要に迫られます。レースなどの目標がない漫然とした生活では運動をしないばかりか食生活まで乱れて醜い体に自己嫌悪を覚えます。食欲があっても労働欲がないように、睡眠欲があっても運動欲はありません。食欲や睡眠欲が本能的な欲求であるのに対して、労働や運動は思考や論理構成を介した理性的な欲求だと思います。他方で、労働も運動も封印された本能であり、一度目覚めると欲求が増幅され人生を切り開く原動力になります。欲を制する自制心は、人生の成功に大きな影響を与えるとされますが、労働にも運動にも一定の自制心や努力が必要です。両者は単純な快適な状態とは異なるために、仕事嫌い、運動嫌いを生み、市場には商品化しやすい本能的欲求を充たす商品ばかりが氾濫します。食欲や睡眠欲が簡単に充たせる欲求であるのに対して、労働や運動は努力や忍耐の先にいわゆるフロー状態を経験する複雑な欲求故に、人生には目標が必要なのだと思います。

  • 【覆る働き方の常識】
    立夏を過ぎ暦の上では夏が訪れ新緑の眩しい季節になりました。仕事帰りに近所の豪徳寺を通ると、招き猫で有名な寺は連休中賑わったのでしょうが、静かな境内は心が落ち着きます。現役時代には疑いもしなかった、毎日定時で働く働き方はむしろ異常で合理的ではないと思います。仕事の目的は成果をあげることですから、最も成果の上がる場所で最も成果の上がる時間に最も成果の上がる方法で働くべきなのに、毎日決まった場所で決まった時間に同じように働くことは効率の良い働き方とは思えません。多くの組織は自由に働くことを許さず、何をするにも制約があります。それらはすべて無駄な間接コストですから、本来人は今ほど働かなくても同じ給料を受け取ることができます。将来を悲観していないのは、あまりに非効率な従来のやり方が幸いして、ある日突然パラダイムシフトが起こり常識が根底から覆ると思うからです。

  • 【旅の投資的価値】
    昔は旅行に行くことに疑問を持ちませんでしたが、今はお金を使ってわざわざ疲れに行くレジャーに否定的です。ゴールデンウィークの旅行など悪夢ですが、一方で家族と日常を離れる機会などそう多くありません。純粋な楽しみや静養の旅行に価値を見い出せない一方で、旅行には投資的価値があると思います。使ったお金がいずれ戻って来る前提ですから、ビジネストリップは最高の旅行形態です。旅先での学びが自分を変え将来につながるなら行く価値があると考えます。以前は旅先でホテルを見たり、ホテルを見るために旅行をしましたが、今は積極的にはホテルを見ません。人々がどのようなスタイルで旅行をしているのかが興味の対象です。旅が暮らしや働くことと融合し始めた昨今、ホテルは旅行界のスターではなくなりました。香港のゲストハウスで見かけた何人かの欧米人は、滞在しながら暮らすように働いていました。

  • 【トレランで通勤する香港】
    昨夜は帰国便が遅かったので、朝食前に香港島裏側のアバディーンからビクトリア・ピークまで登りました。ホンコン・トレイルの途中で出会った金融機関に勤める男性は毎朝トレイルを走っているそうです。山頂で朝食を食べそのまま中心街中環のオフィスまでトレイルを走って通勤することもあるといいます。早朝の山深いトレイルを走ってオフィスに行くなどまさに理想の通勤ですが、それができるのも香港ならではです。高層ビルが多く都市のイメージのある香港ですが、海岸に張り付くような高層ビル群の背後には自然豊かな山がひかえていて、イギリス統治時代の1970年代に総延長300kmに及ぶトレイルが整備されています。

  • 【旅に欠かせないランニング】
    街を走って旅する「旅ラン」やレースに出るための旅行がぼくの周囲では普通になりました。坂の多いマカオでも、街区が巨大な深圳でも、街中で工事が目立つ香港でもランニングに適したコースを見つけることは容易で、1週間で200km超を自分の足で移動しました。旅ランの魅力は街の大きさを自分の体をスケールに把握できることです。走ることで街は小さくなり、大きいと思っていたロンドンも歩いてまわるのに最適な大きさです。エネルギーを消費しますので、旅行にありがちな食べ過ぎも緩和してくれます。ビクトリア・ピークの夜景を見に行ったときも自分の足で登ると、人のいない場所で夜景の美しさに浸れます。マカオから深圳に移動する際バスを間違えて観光客が使わない珠海のイミグレーションに降りたときも、数キロ足で移動し予定していた外港発のフェリーの時間に間に合い、旅にランニングは欠かせません。

  • 【融合する旅と暮らし】
    前回香港に来たのはペニンシュラホテルのタワーが工事中の頃ですから20世紀です。当時も今も至るところで工事をしており、街に活力を感じます。若者しかいない歪んだ人口ピラミッドの深圳から長寿大国の香港に来るとほっとします。しかし、マカオも深圳もそして香港でも臆面もなく経済成長や浪費を礼賛する空気は共通です。ホテルのオンライン予約サイトは日本人の予約を把握しているらしく、この時期香港のホテル価格は暴騰します。九龍や中環のホテルは泊まれる価格ではなく、昨日は香港島裏側のアバディーンにあるゲストハウスに泊まりました。洗濯や調理ができてパブリックスペースの充実するゲストハウスは普段泊まるのにも合理的です。ゲストハウスに馴染むとコリビングやシェアハウスにも抵抗がなくなり、旅と暮らす感覚は急速に融合していきます。

  • 【中国の強権政治は必然?】
    昨日深圳から新幹線で香港に移動しました。乗車時間わずか14分の国内とは言え香港に戻ると安心します。未来都市深圳に滞在して中国の強権政治に対するイメージが少し変わりました。2008年のオリンピックを契機にマナーが改善したとされる中国ですが、厚顔無恥はどこでも目にします。豊かになっても行儀の悪さは相変わらずで、アウディーのショールームでは客がいてもスタッフが助手席の椅子を倒して寝ながらスマホを見ています。高級ホテルに来るような親子でも躾という習慣がありません。個人や家族の単位で社会性を身につけることができないこの国では、共産党が暴力で支配しない限り国がまとまらないのは無理もないことかもしれません。世界の工場の心臓部深圳は、その監視社会の評価を置いておくとして、経済発展のあり方を示しています。国を作り直すための壮大なパイロットモデルであり、日本よりはるかに巨大な国でありながらダイナミックに国を変えようとしているところに戦略性を感じます。

  • 【人類最後の監獄都市?】
    昨日は秋葉原の30倍という広さの電気街、CEEC(中国国際消費展示電子交易中心)、世界最大の書店など深圳詣の聖地を回りました。あらゆる取引が電子決済される深圳から見ると、連休前にATMの現金がなくなる日本は未開の国です。他方、無機質で人の営みが欠如した都市は、美しいけど安らぎを感じる場所ではありません。監視カメラにより行動が統制され、それゆえ物々しい警官の姿を見かけることは多くありません。地下鉄に乗るにもX線検査が必要な都市は人間らしい未来とは異なります。高層ビルが並ぶシンガポールやクアラルンプールは昔ながらの人情や風情を持つ一角があり落ち着きますが、似ているのはマニラ中心部のマカティやボニファシオ・グローバルシティです。65歳以上人口2%の理由は仕事から離れてまで住む理由がないからかもしれません。深圳の最大の強みは過去の遺産を一切引き継いでいないことです。この壮大な実験を新しい未来都市の始まりと考えるか、人類最後の監獄都市と見るか評価にはまだ時間がかかりそうです。

  • 【70年後に実現した1984年】
    昨日マカオから深圳に移動しました。人口30万人の漁村が、30年で1,400万人超に膨れ上がり、香港を抜いて中国トップのGDPを誇る都市は、高齢化が進む中国にあって65歳以上人口2%の前評判通り、地下鉄の車内は若者だけです。QRコード決済などで現金を持ち歩かない先端都市は、電車もバスも小額紙幣がわずかに使える程度で到着したばかりの旅行者には不便です。マカオから船で着くと事前に各自が機械で指紋登録をするのですが、不慣れな旅行者には分かりづらくイミグレーションの職員も横柄で不親切です。慣れてしまえば容易いことばかりですが、小額紙幣を持たない旅行者は地下鉄のトークンひとつ買えません。交差点には多数の監視カメラが設置され、警官がサブマシンガンを持つ高層ビルの立ち並ぶ街にはゴミひとつ落ちていません。美しい街はどこかいびつで、1949年に刊行された小説でジョージ・オーウェルの描いた未来は、1984年ではなく70年後のアジアの大国で実現したことになります。

  • 【図書館がそばにある生活】
    即物的な欲求のはけ口としてのカジノ、ポルトガル統治時代の面影を残す荘厳な教会、生命力と死が同居する市場など、異なる要素が混在するマカオは思考をかき混ぜる場所です。中国人観光客の圧倒的な購買意欲に、平成バブルの熱狂の記憶が蘇ります。一番気に入った場所は、マカオ最大の図書館であるロバート・ホー・トン図書館です。1894年以前に建築されたポルトガル人の住居を1958年から図書館として使っています。コロニアル建築と2005年に完成した新棟、それらが囲む中庭の居心地が良く、年配の女性が涼し気な木陰で本を読む姿に目を引かれます。先日見た沖縄県立図書館もそうですが、良い図書館がそばにある生活に憧れます。

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